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ウクライナ西部略史

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Доброго вечора!

教祖です。


今回は、僕の故郷、ウクライナ民族主義が強いウクライナ西部という場所を理解するため手短な歴史を語ってみたいと思います。

東欧という地域においてもここは複雑な歴史を有するだけに、できるだけわかりやすく簡単にお話します。

twitterでしばらくつぶやいていたのですが、ドナウ以北・ウクライナ・バルト三国という地域は、バルカン並に一般の方々にとってマイナーであることがわかりました。

バルカンについてのブログでは過去に基礎知識について書いたエントリがあるのですがこちらはまだ始めたばかりですので、危急の話題がない間は、基礎知識を語っていきたいと思います。


ちなみに、ウクライナの休戦が続くのか失敗するのかという点ですが、

現時点ではまだ判断が難しいです。

最大の難点は、ウクライナからの情報の信頼性の低さです。

例えば、一昨日ポロシェンコ大統領の側近ルツェンコ氏が、米、ポーランド、ノルウェー、フランス、イタリアからの軍事援助があると公式に発言しました。

しかしそれはあっという間に否定されました。

別の例としては、休戦後マリウポリが砲撃されているというニュースが流れてきました。

その際親露派が学校を砲撃して炎上させたという写真がついていましたが、それは休戦前に移されたドネツィクの写真であることが判明しました。

この件では現地から流れてくる細かいニュースは半信半疑というスタンスで臨み、大局的に見て戦争再開はありうるかという推測を行わなければなりません。



さて、ウクライナ西部です。

ここ、特に西部の代表的な都市リヴィウを中心とするガリツィア(ウクライナ語名ハリチナ)は、ルーシとポーランドとの辺縁に属し、ウクライナ人が祖と仰ぐウクライナコサックが出現した頃にはポーランドの支配下にありました。

その後のプロイセン、ハプスブルク帝国、ロシアによるポーランド分割によりこの地域はハプスブルク帝国領に編入。

この状態が第一次大戦まで続きます。

その後、第一次大戦でハプスブルク帝国が崩壊すると、一時はウクライナ人の独立政府ができますが、最終的にポーランド領に編入されます。


ハプスブルク帝国支配期のこの地域でのウクライナ人、ポーランド人の関係は良好なものではなく、

また第一次大戦後の混乱状態での両者の衝突、またその後のポーランド軍の侵攻・占領・支配。

ポーランド支配下では、抵抗組織としてウクライナ軍事組織(UVO)が結成されテロ・サボタージュ活動を行いました。

さらにUVOはより大きなウクライナ民族主義者組織(OUN)となりより大規模に活動します。

この状態でソ連によるポーランド分割と独軍の侵攻を迎えます。


独軍は当初OUNを利用しますが、ウクライナの占領後、弾圧を開始します。

OUNのメンバーはより戦闘的なウクライナ蜂起軍(UPA)を結成し、独軍、独ソ戦の形成が逆転するとソ連軍・ソ連パルチザン相手にゲリラ戦を展開します。

ソ連南西方面軍ヴァトゥーチンを殺害するなど強力な抵抗を展開します。

UPAは第二次大戦後も活動を続け、ソ連はポーランド、チェコスロヴァキアとともにUPAの鎮圧作戦を展開します。

47年にUPA掃討のポーランド側責任者シヴィエルチェフスキ国防次官を殺害するなど激しい抵抗を行いますが、

ソ連軍による、UPAが篭るウクライナ西部の森林の伐採、基盤である西部農村の集団化によるUPAの孤立化などの作戦、

またポーランドによるポーランド東部のウクライナ人の強制移住(ヴィスワ作戦)などで次第にUPAは追い込まれ、1950年代に鎮圧されてしまいます。


このUPAの旗は赤黒の二色旗であり、去年末から今年まで行われたウクライナでのデモで盛んに振られていた写真・動画を観た方も多いと思われます。


西部を語る際に忘れてはいけないのが、東方典礼カトリック教会です。

これは教会合同の仮定で生まれた、儀式その他を全て東方正教式に行うがローマを上に仰ぐ教会で、正教会からは裏切り者とされ、またUPAを支持していたこともあってソ連時代に弾圧されます。

しかし西部のウクライナ人信者は、かつてUPAが篭った西部の森林の中でミサを行っていました。


西部の歴史はロシア(ソ連)支配期が短く、東部の人間以上にロシアを嫌う傾向があります。

上で書いたようにポーランド人との仲やポーランドに対する感情は良くはないのですが、現在ロシアに対抗する必要上そうした感情は押し殺された状態になっています。


さて、西部には面倒な地域が二つあります。

一つは、第一次大戦後ソ連がルーマニアから毟り取ってウクライナ共和国に併合した北ヴコヴィナ。

もう一つは、第一次大戦後チェコスロヴァキア領になったものを第二次大戦後ソ連が毟り取ってウクライナに併合したザカルパッチャ(ザカルパチア)。

これは、後のエントリでご説明します。


今日はこんなところでしょうか。

それでは、До побачення!






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