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ロシア領クバーニ(北西コーカサス)の動きとチェルケス人の帰還

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Доброго вечора!

教祖です。


今回は、このブログの領域からは外れるものの、東欧地域に影響を与えそうなトピックについて書いてみます。

ただ、僕はロシア国内政治専攻ではないため、これに関するレポートはロシア専攻の方々が書かれると思います。

今回は、ロシア領北西コーカサスからウクライナ含む東欧情勢に影響しそうな事柄について、選り抜いた事柄についてのみ書いておきたいと思います。


まず、この地図をご覧ください。私がよく使うtwitterでウクライナ人の垢がよく掲載するものです。

BzFFKIUCcAEMw4E.jpg

これは「1918年のウクライナの地図」としてアップロードされるものです。

今回のトピックは、この地図の右下、北コーカサスがウクライナ領となっている部分です。


この地域は「クバーニ」と呼ばれます。

ここがウクライナにどう関係するかというと、ロシア帝国が北コーカサスを制圧する際に組織したコサック集団にウクライナ系コサックを移住させて編成したという経緯があります。

ただ、ウクライナ側にはロシアに併合される前のウクライナ(ザポロージエ)コサックが領域の一部にしていたという主張があります。

僕が調べた限りではクバーニのコサックはロシア帝国が編成したものが起源とするのが主流のようですが、そのあたりについてはあえてここでは問わないことにします。

民族主義思想においては、実際にどうだったかではなく彼らがどう思いこんでいるかが重要だからです。


さて、このクバーニのウクライナコサックはロシア帝国の尖兵として北コーカサスを制圧したものの、みずからのアイデンティティーについては複雑なものがあったようです。

ロシア革命後の騒乱の中でクバーニは一時クバーニ人民共和国を宣言しウクライナとの合邦の試みも見られますが、クバーニ・ウクライナ双方とも結局ソ連内の領域として抱合されることになります。


上の地図のように、ウクライナの民族主義者にはクバーニはウクライナの領域とする潮流があるようです。

2013年8月31日、9月1日にキエフで行われたクバーニコサックの集会で、ウクライナとクバーニの統合が要求されました。

http://windowoneurasia2.blogspot.jp/2013/09/window-on-eurasia-ukrainians-in-kyiv.html?spref=tw

これは、露語版のこの記事の写真や動画を見る限り大規模なものではなかったようです。

http://nr2.com.ua/News/world_and_russia/kubani-predlozheno-otsoedinjatsja-ot-rossii-i-vojti-v-sostav-ukrainy-foto-video-38638.html

しかし、今年に入ってからのロシアによるウクライナ侵攻を受けてこうしたウクライナ民族主義者の思惑は表層に出てきたように思えます。

今年五月、ウクライナの極右手段右派セクター(プラヴィー・セクトル)がウクライナの都市チェルカッスィでクバーニをウクライナに統合する「住民投票」を行いました。

http://ukrstream.tv/en/videos/u_chierkasakh_proishov_riefieriendum_za_priiednannia_kubani_do_ukrayini_17_05_2014#.VDj4ViwcTIU

これはパフォーマンス的なものだったにしろ、ウクライナ民族主義者の思想的動向を知る上で参考になるかと思われます。


気になるのは、肝心のロシア領クバーニで動きがあることです。

この記事は、ロシア領クバーニにおいて連邦化要求が行われ始めていると報じています。

http://www.interpretermag.com/siberian-federalization-idea-spreads-to-kaliningrad-and-kuban/

この記事では、クバーニの連邦要求デモを組織した人物がウクライナに亡命を希望していると報じています。

http://lenta.ru/news/2014/10/10/fugitive/


しかし…

問題は、さらに複雑です。

僕は、先にクバーニコサックは北コーカサス制圧のために組織されたと書きました。

このクバーニと呼ばれる地域に居住していたのは、北西コーカサスの先住民である、イスラム教徒のチェルケス人です。

チェルケス人は北西コーカサスに広く分布していた民族であり、いくつかの部族が存在していました。

チェルケス人の自称は「アディゲ」で、それは現在のロシア連邦アディゲ共和国の名に引き継がれています。

他に「カラチャイ・チェルケス共和国」というのも存在し、またチェルケス人の部族のカバルダの名を引き継いだ「カバルダ・バルカル共和国」も存在します。

また、グルジアの分離主義地域であるアブハジアのアブハズ人もチェルケス系の民族です。

ただ、これらのチェルケス系民族はロシアでは少数派です。

19世紀中盤の、ロシア帝国による大規模な民族浄化により、北西コーカサスの先住民であったチェルケス人は殺されるかトルコに追放されるかして人口を大幅に減少させました。

この際、ロシア帝国はトルコに伝えた追放チェルケス人の人口を過小に伝えたため、トルコはチェルケス人の受け入れができず、トルコからさらにバルカン半島や中東に流出しました。

その中には、現在のシリアに移住したグループも居ます。

そのシリアのチェルケス人が、彼の地の不安定化により、故地のロシア領に戻ってきつつあります。

この件について書かれたjamestownの記事は今は見られないのですが、チェルケス人の組織が、「帰還」したチェルケス人から情報を求めるHP記事を掲載しています。

http://circassianrepatriation.com/circassian-repatriation-organisations-started-collecting-statistics-and-numbers-of-the-circassian-returnees-and-refugees/

ただ北コーカサスはロシアの貧困地帯であり、また他民族地帯です。

先ほど言及したjamestawonの記事は、「帰還」したチェルケス人により北西コーカサスで軋轢が生じ始めていると書いています。


私が気になるのは、クバーニのウクライナ系とこれらチェルケス人との相互感情です。

この地図を見れば、「チェルケシア」と「クバーニ」が重なっていることがわかります。(WIKI英語版出典)
Expulsion_map_of_the_Circassians_in_19th_century.png

敵対するのでしょうか?

それとも東欧やこのあたりに特有なプラグマティズムによって和合するのでしょうか?

ロシアは今後欧州や中央アジアに対するHybrid warfareにおいて北コーカサスのムスリム兵士を使用するとの記事もあります。

http://www.jamestown.org/single/?tx_ttnews%5Btt_news%5D=42929&tx_ttnews%5BbackPid%5D=7&cHash=3b175c02f9751d182a69ca907ddd494a#.VDjzqSwcTIW




このブログが書けるのはここまでです。

あとはロシア内政専門の方々の分析を待ちたいと思います。


今回はこんなところでしょうか。

それでは、До побачення!
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こちらは南東欧戦略環境分析局blog http://crnogorac.blog117.fc2.com/ から萌え要素を抜いたものになります。

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